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日本の旅
北北海道の旅          留萌・稚内・宗谷

旧商家丸一本間家
きゅうしょうかまるいちほんまけ
北海道増毛郡増毛町弁天町1ー27
Tel 0164-53-1511
 旧商家丸一本間家は、初代の本間泰蔵が、明治8年(1875)、増毛町弁天町で雑貨店を開きました。
 「丸一本間」を屋号にして、呉服、網元、海運、酒造などを営む増毛を代表する大商家となりました。一度、大火にあいましたが、呉服店舗や雑貨店舗など続々と建設しました。
 現在ある建物は、明治35年(1902)に建てられたものです。平成15年(2003)、主屋、呉服蔵、醸造蔵、店舗、附属屋が国の重要文化財に指定されています。
 壁面や門柱には洋風の装飾が施されています。屋根瓦の一枚一枚に屋号が掘り込まれていて、当時の繁栄が伺えます。



留萌海岸「ゴールデンビーチ」
るもいかいがん「ごーるでんびーち」
北海道留萌市沖見町2丁目
 留萌海岸「ゴールデンビーチ」は黄金岬と浜中海浜公園の間にある人工海水浴場です。突堤と潜堤(水中リーフ)に囲まれた波の静かな全長1Kmの海岸です。
 南に暑寒岳連峰と礼受漁港を臨み、北に黄金岬が見られる静かで、海がきれいな場所です。毎年7月には「日本海CUP争奪ビ−チバレ−留萌大会」が行われます。



黄金岬海浜公園
おうごんみさき
北海道留萌市大町2丁目
 黄金岬は、日本海に沈む夕日の美しさで多くの人々に知られています。黄金岬と千望台から見る夕陽は、「日本の夕陽百選」にも選ばれています。
 この岬は、かつてニシンの見張り台でもあったそうです。ニシンの大群が水平線から押し寄せ、背びれが夕映えに染まって水面が黄金色に見えたそうです。そのことから、黄金岬と呼ばれるようになったそうです。
 黄金岬一体を形作っている荒々しい奇石が並ぶ岩場は、「カンラン石玄武岩柱状節理」とよばれ、層雲峡の大函や根室の車石などと同じ種類の石質です。



海のふるさと館
うみのふるさとかん
北海道留萌市大町2丁目
 黄金岬は幕末に「のろし台」として利用され、北前船など日本海航行の重要な場所でした。その高台に「海のふるさと館」が、平成元年(1989)にオープンしました。
 「学ぶ・遊ぶ・憩う」をテーマに、留萌の歴史を道具や映像・レプリカなどで再現しています。
 2階は室内展望ラウンジがあり、日本海を一望できます。3階屋上でも展望することができます。


旧花田家番屋
きゅうはなだけばんや
北海道留萌郡小平町字鬼鹿広富
Tel 0164-57-1411
 番屋とは明治から大正にかけて盛んだったニシン漁に従事した漁夫たちの宿舎です。旧花田家番屋は道内に残る番屋の中で最大の規模を有しています。
 旧花田家番屋は明治38年(1905)頃、当地の素封家、花田伝作氏によって建てられました。最盛期には18のニシン定置網を経営する道内屈指の網元でした。
 間口約40m、奥行き約23mの木造一部2階建てで、延べ床面積906平方mもあります。入母屋造りの玄関を入るとニワと呼ぶ土間があります。漁具や生活道具も展示されていて、往時の賑わいを伝えています。
 昭和46年(1971)国の重要文化財に指定されました。これを機に小平町がこの建物を買取り、3年の年月と約1億9千万円の費用を投じて解体修復しました。
 小さな郷土資料館も併設されています。小平町の歴史と、沈没した泰東丸がテーマになっています。泰東丸は樺太からの引き上げ船で、終戦から一週間過ぎた昭和20年(1945)8月22日にソ連の潜水艦の攻撃を受けて沈没し、1708名の尊い命が奪われました。
小平町郷土資料館
 道の駅「おびら鰊番屋」は、旧花田家番屋の敷地内にあります。イワシ番屋にあわせて、古い木造の番屋風に仕上げてあります。旧花田家番屋の見学受付もここでしています。道の駅周辺は「にしん文化歴史公園」として整備されています。
道の駅 おびら鰊番屋



にしん文化歴史公園
にしんぶんかれきしこうえん
北海道留萌郡小平町字鬼鹿広富
 国道232号沿いの「旧花田家番屋」の道路を挟んだ海側に、にしん文化歴史公園はあります。夕日の眺望ポイントとして整備された公園です。
 公園内には遠い昔小平町を訪れた探検家、松浦武四郎の銅像や夕日をイメージしたモニュメントが建てられています。
 松浦武四郎は27歳の時、蝦夷地探検を開始しました。以来6度に渡り、案内役のアイヌの人々と蝦夷地を踏査し、詳細な地図・絵図を完成させ「東西蝦夷山川地理取調図」を出版しました。
松浦武四郎像
 松浦武四郎は小平町に4度も訪れています。蝦夷地を北海道という名に改名し、自らの雅号も「北海道人」と名乗りました。「名にも似ずすがたやさしき女郎花なまめき立てるおにしかの里」と、鰊漁場の賑わいをきわめた鬼鹿を詩に残しています。



サロベツ原野
さろべつげんや
北海道天塩郡豊富町字西豊富
Tel 0162-82-1728
 サロベツ原野は北海道北部にある豊富町と幌延町の海岸線沿いに広がる湿原です。独特の植生が豊富に見られることから、一部の区域は特にサロベツ原生花園と呼ばれています。
 サロベツはアイヌ語の「サル・オ・ペツ」で、葦(アシ)の生える川が語源とされています。泥炭性の低湿地で、海岸砂丘とその背後にある宗谷丘陵によって阻まれた潟湖が、泥炭による長い堆積作用によって形成されたとみられています。
 水鳥の生息にとって重要な湿地として平成17年(2005)ラムサール条約登録湿地に指定されました。水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約です。
 豊富ビジターセンター内ではサロベツ原野形成の歴史や自然などがパネルやスライドにより分かりやすく展示されています。
豊富ビジターセンター
 雄大なサロベツ湿原の自然観察ポイントを遊歩道を歩いて体験できます。2万3000haもの広大な湿原は「利尻・礼文・サロベツ国立公園」に指定されています。
豊富ビジターセンター



稚内市立ノシャップ寒流水族館
わっかないしりつのしゃっぷかんりゅうすいぞくかん
北海道稚内市ノシャップ2−2−17
Tel 0162-23-6278
 稚内市立ノシャップ寒流水族館は日本最北端にある水族館です。規模は大きくありませんが、極寒の海に生息する、約20種、800匹以上の寒流魚などを集めています。
 ゴマフアザラシやペンギンなどの海獣も飼育されています。飼育数日本最大級のゴマフアザラシの餌付けショーが評判です。



稚内市青少年科学館
北海道稚内市ノシャップ2丁目2ー16
Tel 0162-22-5100
 稚内市青少年科学館は昭和49年(1974)に開館した施設です。見て、触れて科学を体験でき、プラネタリウム、科学体験コーナーなどもあります。
 南極コーナーには、南極観測に関する資料やタロとジロ写真パネルなどが展示されています。昭和33年(1958)第二次越冬隊は天候悪化から連れて行った樺太犬を置き去りにしました。翌年、昭和基地に入った時、タロとジロが生存していたのです。



ノシャップ岬
のしゃっぷみさき
北海道稚内市ノシャップ2丁目
Tel 0162-23-6468
 ノシャップ岬(野寒布岬)は、映画「喜びも悲しみも幾年月」で舞台となった稚内灯台のある岬です。
 ノシャップとはアイヌ語で「波を砕く突き出た場所」を意味しています。根室半島の先端にある納沙布(ノサップ)岬とは違います。
 岬周辺は恵山泊漁港公園となっていてイルカのモニュメントなどもあります。天気が良い日には利尻島の利尻富士が望め、夕日がきれいな岬としても有名です。
 「日本の灯台50選」にも選ばれている稚内灯台はノシャップ岬のシンボルです。赤と白のストライプが特徴です。高さ42.7m、出雲日御碕灯台に次いで日本で2番目の高さを誇ります。
稚内灯台
 初代は明治33年(1900)現在の位置から900m南の丘の上に造られました。昭和41年(1966)、現在地に移設、新築されました。一般に公開はされていません。
稚内灯台


稚内公園
わっかないこうえん
北海道稚内市富士見4丁目
 稚内公園は稚内市街地西側の高台にあります。稚内の街並みを一望できる緑豊かな公園です。
 広い園内には氷雪の門、行幸啓記念碑、九人の乙女の碑、教学の碑、南極観測樺太犬記念碑、樺太犬供養塔、測量の碑、開基百年記念塔、北方記念館などが建てられています。
 氷雪の門(ひょうせつのもん)は、昭和38年(1963)全国からの支援によって建立されました。かつて日本領土だった樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑です。
氷雪の門
 彫刻家、本郷新が作成しました。高さ8mの門の間に2.4mの女性のブロンズ像が建っています。その肩越しに樺太を望むことで望郷の念を表しています。樺太で亡くなった全ての日本人を慰霊しています。第二次世界大戦終戦後のソ連軍によって樺太で殺された日本人だけを対象としているわけではないそうです。
氷雪の門
 樺太犬の功績を讃え、「南極観測樺太犬訓練記念碑」というブロンズ像が建てられています。 昭和32年(1957)初めての南極観測で犬ぞり隊が編成されました。稚内周辺から集められた樺太犬でした。南極へ出発する前に、ここ稚内公園で8ヶ月間、厳しい訓練を受けました。
南極観測樺太犬記念碑
 昭和33年(1958)南極では悪天候ため樺太犬が置き去りにされるという悲劇が起こりました。翌年、樺太犬タロ・ジロの2頭が奇蹟的に生き延びました。命を落とした犬たちの霊を慰める慰霊碑です。稚内公園の犬ぞり訓練所跡地に、昭和36年(1961)建立されたものです。
樺太犬供養塔
 「樺太犬供養塔」の近くに「測量の碑」という円形のモニュメントがあります。ベンチのような形で、中心には方位盤と標石があり、このモニュメントの正確な位置が表示されています。
測量の碑



開基百年記念塔・北方記念館
かいきひゃくねんきねんとう・ほっぽうきねんかん
北海道稚内市稚内村ヤムワッカナイ 稚内公園
Tel 0162-24-4019
 開基百年記念塔は稚内市の開基100年と市制施行30年を記念して、昭和53年(1978)稚内公園にある丘陵に建てられました。
 海抜170mの丘地に2階建ての北方記念館があります。その建物の上に80mの展望塔がそびえています。
 北方記念館には稚内市や北海道北部、樺太に関連した資料が展示されています。各コーナーに分かれた内部はテーマ別で構成されています。日本とロシアの友好を打ち出したもの、自然や動物などをテーマにしたコーナーなどがあります。
 頂上の展望室は四方がガラスでできています。ここから360度の大パノラマを一望できます。天気の良い日には利尻島、礼文島、樺太なども見ることができます。
 稚内市北方植物園は日本最北の植物園で、百年記念塔のすぐ横にあります。樺太の庭も併設されています。
稚内市北方植物園



宗谷丘陵
そうやきゅうりょう
北海道稚内市宗谷村宗谷岬
Tel 0162-23-6468
 宗谷丘陵は宗谷岬南部に広がる日本最北の標高20mから400mまでのなだらかな丘陵地帯です。2万年前の氷河期に形成されたと思われています。北から南に向かって標高が高くなり、緩やかに起伏しています。深い谷などはありません。
 宗谷丘陵は肉眼で周氷河地形(しゅうひょうがちけい)を見ることができる数少ない場所となっています。地中の水分が凍結や融解を繰り返すこと(凍結融解作用)によって形成される地形のことです。
 宗谷岬に広がる丘陵地帯に日本最大の宗谷岬肉牛牧場があります。「大地の健康・牛の健康・消費者の健康」を理念に肉牛の生産を行い、自然環境に負担をかけない牧場経営をしています。宗谷黒牛も味わえる所です。
宗谷岬肉牛牧場



宗谷岬
そうやみさき
北海道稚内市宗谷村宗谷岬


 北緯45度31分、道路がある日本最北の岬が宗谷岬です。天気の良い日はサハリンの島影を遠望することができます。その距離はわずか43Kmです。
 突端には「日本最北端の地の碑」が建っています。周辺には間宮林蔵の立像やモニュメントがあり、宗谷岬音楽碑も建てられています。
 宗谷岬の先端には、日本最北端の地を標す「日本最北端の地の碑」が建てられています。一部階段付の円形の台座の上に、とんがり円錐のモニュメントです。
日本最北端の地の碑
 この碑は、北極星の一稜をモチーフにしています。中央には北を示す「N」、台座の円形は「平和と強調」を表しています。
日本最北端の地の碑
 宗谷岬には探検家、間宮林蔵(まみやりんぞう)の像があります。像は、林蔵の生誕200年を記念し、昭和55年(1980)偉業を顕彰するために建てられたそうです。
間宮林蔵の像
 間宮 林蔵は安永9年(1780)常陸国筑波郡上平柳村(茨城県つくばみらい市)の農民の子として生まれました。 近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれ才能を発揮しました。初めて日本から樺太に渡り、樺太が島であることを発見した探検家であり、隠密でもありました。世界地図に日本でただ一人「間宮海峡」という日本人名を残しました。
間宮林蔵の像
 「宗谷岬音楽碑」もあります。昭和49年(1972)のヒット曲「宗谷岬」(吉田弘作詞、船村徹作曲)の歌詞や楽譜が書かれています。歌碑に近づくと千葉紘子さんの歌う「宗谷岬」が流れるようになっています。
宗谷岬音楽碑
 流氷(りゅうひょう)とけて 春風吹いて
 ハマナス咲いて カモメもないて
 はるか沖ゆく 外国船の
 煙もうれし 宗谷の岬
 流氷とけて 春風吹いて
 ハマナス揺(ゆ)れる 宗谷の岬
宗谷岬音楽碑



宗谷岬平和公園
そうやみさきへいわこうえん
北海道稚内市宗谷村宗谷岬
 サハリンを望む宗谷岬の小高い丘に宗谷岬平和公園があります。ここには旧海軍望楼、祈りの塔、ラ・ペルーズ顕彰記念碑、平和の碑、宗谷海域海軍戦没者慰霊碑、世界平和の鐘、子育て平和の鐘、あけぼの像、宮沢賢治文学碑などがあります。
 「祈りの塔」は高さ約20mのひときわ目立つ折鶴のような形塔です。大韓航空機撃墜事件、2周忌に、遭難者の慰霊と世界の平和を願って建てられた塔です。
祈りの塔
  大韓航空機撃墜事件は昭和58年(1983)9月1日に起きました。アラスカ発ソウル行きの大韓航空旅客機がソ連領を侵犯したとして、ソ連機によって撃墜され、乗員・乗客269名全員が死亡した事件です。28人の日本人も犠牲になりました。鶴のくちばしの先は、事故があったモネロン島の方角を指しています。台座の16段の羽は被害にあった人たちの国の数、張られた石の数は被害者数の269個です。
祈りの塔

 「ラ・ペルーズ顕彰記念碑」は平成19年(2007)に造られました。ラ・ペルーズはフランス海軍の軍人でルイ16世の命令により、天明5年(1785)太平洋方面の探検を行いました。
ラ・ペルーズ顕彰記念碑
 天明7年(1787)、北海道と樺太を分ける海峡があることを発見しました。欧州人として宗谷海峡(ラ・ペルーズ海峡ともいわれます)を通った初めての人物なのです。記念碑は発見後220年を記念して建てられたものです。
ラ・ペルーズ顕彰記念碑
 平成7年(1995)に「平和の塔」が日米合同で建てられました。日本とアメリカ合同での慰霊碑を建立は、わが国では初めてのことです。
平和の碑
 昭和18年(1943)宗谷海峡において日本海軍とアメリカ海軍との間で戦いが繰り広げられました。アメリカ海軍潜水艦「ワフー号」によって日本商船5隻の犠牲者は690名。日本海軍はワフー号を攻撃、撃沈させました。アメリカ側の犠牲者80名がともに慰霊されています。
平和の碑
 「宗谷海域海軍戦没者慰霊碑」は、昭和55年(1980)に建てられました。終戦直後に魚雷攻撃を受けた稚泊航路連絡船「宗谷丸」を守るため、身代わりとなって爆沈した望楼防備隊の「第12号海防艦」152名の乗組員の霊を慰めるものです。
宗谷海域海軍戦没者慰霊碑
 男女のブロンズ像「あけぼの像」は、北海道の牛乳生産量100万トンを突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して、昭和46年(1971)建てられました。
あけぼの像



稚内港北防波堤ドーム
わっかないきたぼうはていどーむ
北海道稚内市開運
 北海道遺産の稚内港北防波堤ドームは、稚内港にある大型の防波堤です。防波堤というよりもドーム状の形になっているのでドームという名がつきました。
 北埠頭は旧樺太航路の発着場として使われていました。ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年(1931)から5年間かけて建設されました。ここに稚内桟橋駅が出来て稚内駅から直接、船に乗りこむ事ができたそうです。
 昭和55年(1980)、3年におよぶ全面改修工事が終わりました。古代ギリシア建築を彷彿とさせるエンタシス状の柱列群がある独特な景観がよみがえりました。
 高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式です。



てっぺんドーム
てっぺんどーむ
北海道稚内市宗谷村宗谷港
 平成16年(2004)、宗谷港北泊に「てっぺんドーム」が誕生しました。稚内港北防波堤ドームを模し、全国で3番目の北防型ドームです。
 「てっぺんドーム」は全長265m、高さ7.6mの上下2層構造のダブルデッキ方式です。ドームの上はサハリンの島影や宗谷海峡を見渡すことができる眺望台になっています。波の高いときに潮を吹くという高波警報装置「くじらくん」というモニュメントもありました。



クッチャロ湖
くっちゃろこ
北海道枝幸郡浜頓別町クッチャロ湖
Tel 01634-2-2345
 クッチャロ湖は周囲27kmの海水湖です。平均水深1.5mと浅く標高が低いため、約3km離れたオホーツク海の海水が、満潮になると入り込みます。大沼(長径5.5km)、小沼(長径3.0km)、ポン沼からなり、細い水路によってつながり、変形した瓢箪型をしています。
 クッチャロ湖の語源は、アイヌ語で「トー・クッ・チャロ」「沼の水が流れ出る口」「というような意味になるそうです。湖から出る水がクッチャロ川を流れ出るので、湖と川の合流点を意味する言葉が、いつのまにか湖全体を指すようになったようです。
 弟子屈町にある屈斜路湖は語源が同じですが、クッチャロ湖とは全然関係がなく、最近付けられたようです。江戸時代の探検書・古地図には「クスリ・トー」という名前の湖だったそうです。
 白鳥の湖といわれるように、春と秋の渡りの季節に、数千羽のコハクチョウと数万羽のカモ類が観察できます。コハクチョウは天塩川・石狩平野を移動しながら、本州の越冬地へ渡っていきます。



北見神威岬
きたみかむいみさき
北海道枝幸郡枝幸町目梨泊〜枝幸郡浜頓別町
 神威岬は標高439mの神威岳と、山裾がオホーツク海に落ち込んだ絶壁、奇岩怪石の海岸と風光明媚なところです。
 断崖の中腹には縞模様の灯台があり、岬より少し南下した枝幸町側に北見神威岬公園があって岬の全容が見渡せます。神威岬と呼ばれていますが、積丹半島にある神威岬と間違われるため北見神威岬と区別しています。明治初期まで北見が旧国名だったので付けたということです。
 網走から稚内までの3207kmの国道238号線にトンネルはこの中を通る北オホーツクトンネルだけです。平成11年(1999)に完成しました。



ウスタイベ千畳岩
うすたいべせんじょうがん
北海道枝幸郡枝幸町岬町
 ウスタイベ千畳岩は枝幸から1.5kmほど北のウスタイベ岬先端にあります。海岸にある平らで巨大な安山岩が、大きな畳を敷きつめたように海まで並ぶ奇岩のことです。
 ウスタイベとはアイヌ語のウシタイペ「入江の林の川」という意味があるようです。この岬の周辺にはアイヌの竪穴式住居跡が多く発見されています。
 ここは北オホーツク道立自然公園に指定されています。千畳岩から弁天崎にかけては絶好の釣り場で、春には潮干狩りが楽しめるそうです。


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